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今までバーンスタインは好きでも嫌いでもなく、人間としても音楽家としてもエキセントリックな人で、そこが魅力なんだろうと思っていた。
ところが最近、彼が指揮するいろんな映像をみて認識を一新した。 まず気づいたのは、彼の棒のテクニックは、(私には)意外にも超正統派だということ。 髪振り乱し、顔をグシャグシャにして、どんなに棒を振り回そうが飛び跳ねようが、すべてのニュアンス--タイミングやリズムのきっかけまで--をきちんと計算して棒の先で伝えている! 顔の表情や仕草で、オーケストラに求めるものをとても雄弁に伝える人だけど、演技者としてのそのレベルが尋常ではなく、指揮している間は完璧に「成りきっている」のが分かる。まるで多重人格か分裂症の人間のようだ。 これは、ウィーンフィルとマーラーの5番をリハーサルしている映像で顕著にみられる(彼がドイツ語をこんなに喋れたなんて! またこの映像を見ると、彼は本質的にマーラー指揮者だということがよく分かる)。 http://jp.youtube.com/watch?v=fytYWwDT4AU&feature=related そしてもう一つは、彼の演奏も棒と同じく、きわめて正統的だということ。正統的という意味は、音楽の起承転結、フレーズの始まりや重心と着地点などがとても自然で、その起伏を誇張する傾向はあるにしろ、音楽がとても説得力に富んでいるということ(ベートーヴェンなど)。 これだけの指揮者たちを育て、彼らに敬愛された理由が、ようやく分かって来た気がする。 #
by hornpipe
| 2009-01-09 23:37
| 音楽一般
埼玉県に引っ越して18年になるが、新緑の比企丘陵とともに、冬の外秩父の山々の眺めもますます好きになって来た。
1000mに満たない山々でありながら量感のある山稜を描き、そのほとんどを歩いたことがあるだけに、小さな起伏の一つ一つまでが味わい深く眺められる。 写真は快晴の1月3日、午後に時間があったので岩殿丘陵に車を走らせ、新しく見つけた展望地から撮影したもの。 「見晴らしの丘」と名付けられたこの展望台は、地球観測センターへの遊歩道の途中にある。付近最高地点と思われる山上がきれいに伐採されていたのを見つけ、「もしや眺めも良いのでは?」と思って直登してみたら、上は整備中の展望台になっていた。「夕日の丘」と書かれた小さな看板が遊歩道の入口に立てかけてあったが、分かりづらい。 下は東方向、筑波山から奥日光、赤城山方面までが一望。 #
by hornpipe
| 2009-01-06 22:42
| 山の展望
昨日は娘(もう大人)のピアノの発表会。
その余興で、妻がヴィオラを弾き、ベートーヴェンのトリオ「街の歌」の第3楽章を演奏させてもらった。 直前までリードに迷った。 アウフタクトで始まる冒頭の8分音符をきれいに発音できるリードが欲しいのに、先日買ったバンドーレンV12は、何故かどれもレスポンスの悪いものばかり。バンドーレンは一枚ごとパックされるようになってから私にとっては反応が今一つで、どうも相性が悪くなった気がする。 つい、使い古したヴィルシャーに手を出そうとしたのだが、このリードでは痛い目に会ったのだった。 レスポンスが良く、音色もとても好きだったので、11月の室内オケの演奏会でワーグナーのジークフリート牧歌に使った。 吹いているときは気にならなかったが、録音を聴いて愕然! 高音で「音が上ずっているのに、音の語尾がぶら下がる」という悪いクセがモロに出てしまっている。 それでも、吹き心地は麻薬のように良いリード。なので、同じ室内オケのメンバー中心で年末に楽しんだ「オペラ合わせ」でも、懲りずにまた使ってしまった。 トスカ第3幕のアリアを、プロのテナーのバックで吹くチャンスが巡って来て(もう二度とないかも)、つい吹きやすさでこのリードに手が伸びてしまった。 結果は……、緊張したせいもあるけれど、リードがヤワで音程を保ってくれず、ソロの途中から音がヘロヘロになり、かなり悔しい思いをするハメに! 「3度同じ過ちは繰り返すまい」と思ったはいいが、さて、リードがない。 仕方なく使ったものは、1年前からリードケースに収まっているチョコレート色のもの。 ス、スランプかもしれないそ……(汗!)。 #
by hornpipe
| 2009-01-05 21:53
| クラリネット
私が子供のころに住んでいた町は平野部にあり、雪が積もってもスキーで遊べる傾斜地はほとんどなかった。なので、小川の土手や畑の残土の小山などは貴重なスロープになり、少しでも平地より盛り上がった所には、大抵、子供たちが滑ったあとが見られたものだ。
ワクワクさせられたのは「吹き溜まり」である。 厳冬のさなか、地吹雪が何日も続いたあと、季節風をまともに受ける集落のはずれに大きな吹き溜まりが出来る。年によっては、子供の背丈の倍以上もある巨大なゲレンデが、ある日突然のように出現し、我々を狂喜させた。 実際、こうした吹き溜まりでスキーが滑れるようになった人は、この地方には多いのではないだろうか。 ~~・~~・~~・~~ スケートはなじみの薄い遊びで、私は子供時代に一度も滑ったことはない。滑れる場所がないからだ。 唯一、スケートが出来る場所は道路だった。 これも厳冬、サラサラとした粉雪が道路に積もり、その上を車やバスが通ると、轍のあとが固く締まる。さらにそこに馬橇(そり)が通ると、まるで鉄のレールのようにテカテカした2本の細いリンクが出来上がる。 と、すかさず、どこぞのすばしっこい兄ちゃんがスケートを長靴に付け、「シャキーン、シャキーン」と金具の音をさせながら得意げに滑って行くのを、たまに見ることがあった。 この兄ちゃんのスケートは、大抵、近くの鍛冶屋で作ってもらった分厚い鉄製だった。 スケートが出来ない我々は、この固い轍の跡で、別の雪遊びをした。 まず、出来るだけ固い小さな雪のボールをつくる。 それを轍のテカテカした所に置き、足の裏でコロコロと転がす。すると、轍の固い雪がボールの周りにくっつき、ボールがもっと固くなる。 今度は前よりも足に重みをかけてコロコロと転がすと、ボールの柔らかい部分は割れ落ち、中の芯の部分だけがさらに固く、強くなっていく。 そんなことを何度か繰り返して作ったボールは本当に石のように固く、ピンポン玉より小さなものでも、大人が乗って決して壊れなかった。 #
by hornpipe
| 2009-01-03 15:47
| その他
正月というものへの感慨が薄れてきたと感じるのは、やはり歳のせいだろうか。
子供のころは違った。東北の日本海側の地で育ったあの頃は、師走に入ると、季節も何もかも正月に向けて突っ走っていた。 10月の遅くか11月に木枯らしが吹き、どんよりした雲から時々ヒョウやアラレが降って地面が白くなると、子供心に雪が待ち遠しくなる。 雪国の子供は雪が大好きだが、大人たちには雪が降る前にいろいろな仕事が待っていた。 その一つが、雪囲い。庭木だけでなく、家屋敷も、真冬の吹雪にさらされる北西側を囲ってしまうのである。 建物に沿って一定間隔に掘ってある穴に、大きな丸太の杭を立て、萱で編んだムシロのようなものを張り渡していく。2階にまで届くほどの高さで、建物の1/3ほどを覆ってしまうこの仕事は、大変な重労働だ。 正月用の餅も、雪が降る前に搗いてしまわないといけない。これは子供にとって重労働。 大きな臼で搗くので杵も重かったが、振り下ろすよりも、杵の先でこねてから持ち上げるのが辛かった。 12月になると、祖母が「大黒サマ」の黒豆を煮た。何の行事だったのか今もって知らない。赤穂浪士の討ち入りの日に近い頃だったと思う。大黒様の頭巾をかぶった人たちが門付けに来た記憶もある。 雪は降ったとしてもすぐに溶け、クリスマスに雪が積もっていることは稀だった。それだけに「ホワイトクリスマス」は子供の夢の世界……雪をいよいよ待ち遠しくさせるばかりだった。 ある年の大晦日の晩、神棚に1年間貼ってあったお札の供養に、近くの八幡神社へ行かされた。 ゲタを履いて外へ出たら、雪が降っていた。 雪明りと、寂しい街灯に照らされた道は、清められたように白く、足跡ひとつない。そこに雪がこやみなく降り積もる。 この雪は、年が明けてその冬の根雪になった。 #
by hornpipe
| 2009-01-01 22:02
| その他
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