カテゴリ
最新の記事
以前の記事
フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ラスベガスのマフィアたちのいいカモにされて80何億もの借財を抱えたのは、某製紙会社の御曹司。それに対して、こちらは一代で1500億円もの資産を食いつぶしたのだから、スケールがまるで違う。
紀州徳川家の宗家となる元侯爵、徳川頼貞の音楽遍歴を詳しく調べた『音楽の殿様 徳川頼貞』(村上紀史郎著・藤原書店)には、ビックリするというより、呆れてしまうような話がたくさん出て来る。何と言っても驚かされるのは、彼がパトロンとして築き上げた世界の大音楽家たちとの人脈の凄さだ。 徳川頼貞は、日本初のパイプオルガン付きコンサートホール「南葵楽堂」(関東大震災で壊滅)や、ヨーロッパで蒐集した大作曲家たちの自筆譜や膨大な楽譜を収蔵した音楽図書館を作るなど、日本の洋楽史にその名を残した人。 ケンブリッジ大に学んでいた頃から音楽家たちとの交流が始まるが、その人脈は(お金の力とはいえ)半端ではなく、当時それぞれのジャンルで一世を風靡した人たちがずらりと並ぶ。 シャリアピン、ニキシュ、カザルス、コルトー、ティボー、プッチーニ、サン=サーンス、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ブゾーニ、ジンバリスト、ハイフェッツ、ルビンシュタイン、フルトヴェングラー……etc。 夫妻でイタリアに旅行したとき、ローマ・サンタチェチーリア管弦楽団を客演で指揮していた旧知のニキシュから「ピアニストのブゾーニが来ているので紹介したい」と連絡が入る。リハーサル会場に行くと、ブゾーニが「お二人のために何か演奏したい」と申し出て、なんとニキシュ指揮、ブゾーニのピアノでベートーヴェンの「皇帝」をたった二人のために演奏してくれた……! パリでは、やはり旧知のコルトーから晩餐に招かれ、行ってみたらそこにカザルスとティボーがいて、彼のためにベートーヴェンの「大公」トリオを演奏してくれたり……!(このトリオは当時、世界最高のトリオとされていた) プッチーニに「マダム・バタフライを見て日本人としてどう思うか?」と聞かれ、日本的でない箇所を指摘すると、感激したプッチーニが「今、中国を題材にしたオペラを書いているが、当時の中国の曲を収集した楽譜を送ってもらえないか」と徳川に依頼。帰国後に資料を送ったがプッチーニの手に届かず、トゥーランドット(未完に終わった)にそれが反映されなかった話とか。 フルトヴェングラーに来日を要請し、フルトヴェングラーも大いに乗り気になっていたが、戦局が拡大して不発に終わった話とか。 音楽家だけではなく、政財界の知己も広く……、 銀行家のアルベルト・カーンから自由に使っていいと言われていたニースの別荘に滞在していたとき、たまたま同じ別荘の隣りにいたのは旧知のサー・オースティン・チェンバレン(チェンバレン首相の兄でノーベル平和賞受賞者)。彼が「もう一人仮住まいの住人がいるよ」といって、間もなくやって来たのは、元フランス大統領のレイモン・ポアンカレだったり。 ローマ法王と個人的に面会し、法王しか歩いてはいけないとされるバチカン内の中庭を特別に歩かせてもらったり、ベルギーやスウェーデンの王室とは特別に仲が良く、国賓待遇でもてなされる等々…… 一度の欧州旅行で費やしたお金は、15億か20億と推定されるそうだ。つまりは、お金をこうした人たちに湯水のようにバラまいたのだろうが、本書は徳川の自伝に基づいて書かれているので、当然そうした裏事情は推測でしかない。 では、ただの「バカ殿」だったのかと言えば、とてもそうとは言えないリアリティが彼の交遊には感じられる。上記の音楽家たちも、いくらしたたかとはいえ、金だけが目当てでこれほど親密な関係を作らなかっただろう。中には、徳川のパトロネージに感激して、自分のガルネリを日本に寄付したいと申し出たチェリストなどもいたのである。それなりの人間的な魅力を持った人だったに違いない。 資産を賭博ですってしまったバカ息子とは、当たり前だが、天と地ほどの開きがある話だ。
by hornpipe
| 2013-03-13 23:03
| 音楽一般
|
ファン申請 |
||