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アメリカに亡命し、ハリウッドで暮らしていたシェーンベルクに映画音楽の仕事の話が舞い込む。
プロデューサー氏から、 「あなたの美しい音楽を聴いて、ぜひこの仕事をお願いしたいと思っています」 といわれたシェーンベルクは、即座に、 「私の音楽は美しくなんかありません!」 と否定したという。 この話は前に紹介したアレックス・ロスの『20世紀を語る音楽』に出てくる(上記引用は記憶で書いてます)。 しかし本人がどう言おうと、シェーンベルクの音楽は美しい。なのに、なぜそれほど彼は頑なな態度をとったのだろうか? シェーンベルクの初期の集大成といわれる「グレの歌」がウィーンで初演されたとき、センセーショナルといえるほどの喝采を浴びてステージに呼び出された彼は、困惑したような表情を浮かべながら終始、聴衆に背を向けていたそうだ。一説には、「この曲がウケることは分かっていた」と漏らしたとか。 そのグレの歌の壮大なエンディング(お聴きになったことのない方は是非!)に象徴されるように、彼の初期のオーケストラ音楽を一度聴けば、ハリウッドのプロデューサーならずとも、纏綿とつづくその陶酔美と官能美に溢れた世界に至福の時を味わえる。 彼の音楽がマーラーやリヒャルト・シュトラウスなどと異なるのは、より研ぎ澄まされた音色の感覚を持っていることではないかと思う。 室内交響曲第1番など、各楽器から何か透明なキラキラしたような音色が聞こえて来るし、編成が大きくなってもこの独特の透明な音色感は変わらず、どんなに錯綜した箇所でも各楽器の音が鮮やかに聞こえてくる。 反面、とくに初期から無調に踏み入れたあたりの作品では、爛熟した和声や輝かしい音色に比して、旋律の扱い方や曲の構造(上手く言えませんが)などが不似会いなほど保守的に聞こえてしまう。和声やオーケストレーションではリヒャルト・シュトラウスと互角に張り合っても、この点ではいかにもリヒャルト(あるいは当時先端を突っ走っていたストラヴィンスキー)のような「冴え」が見られないのだ。 ひょっとしたら彼は自分のこの「欠点」を知っていたのではないか? ことばを換えると、自分の音色に対する感覚が新しい音楽の扉を開くことを予感しつつ、それに見合った形式を見い出せないでいるもどかしさ、そんな葛藤にとらわれていたのではないだろうか。 12音技法は、とかく機能和声が行きついた先の先に見い出されたものといわれている。しかし、より本当のところは、(シェーンベルクにあっては)音色をそれまでの伝統的な音楽の形式から解放してくれる究極のモダニズムの手段だったのでは、などと思ったりする。 ※彼の音色美は12音技法を使った音楽にも(にこそ)はっきりと表れていると感じます。
by hornpipe
| 2011-05-25 22:13
| 音楽一般
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