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中国人と話をする機会は滅多にないことだが、つい先日、台湾から来たフルートメーカーの社長さんに話を聞く機会があった。
私なんかよりもずっと達者な英語を話す彼は、ときどき分からない用語があると漢字を書いて示してくれる(台湾では昔の漢字が使われている)。それで互いに通じ合うというのは、やはり面白い。 別れ際に「漢字読めますか?」と日本語で聞かれ「今勉強しています」と答えたものの、渡された漢字の資料は全く歯が立たなかった。やっぱりなぁ! ◎ ◎ ◎ じつは、漢文に日々、漫然と触れるようになって2ヶ月近くが経ったいま、読み始めの頃には思い至らなかった点が(冷や汗とともに)いろいろ見えて来た。 その一つが、漢文と今の中国語(話しことばも書きことばも)とは、およそ別物と割り切るべきだということ。当初は人からそういわれても、何故か、それに抗いたい気持ちがあった。ナイーブに過ぎたと思う。 もう一つは、今さらながら、漢文とは日本語の古文だということ。古文として読み下せない限り、私ごときが漢文と付き合っていくことはまず不可能だということ。 また、このブログで漢詩をたまに引用するものの、漢詩は漢文の基礎を学ぶためにはあまりふさわしくないような気がする。イレギュラーな要素が多すぎるのだ。 それよりは、論語や孟子などを読む方が、数多く読むほどに読む力もついてくるような気がするのだが、どうでしょうか? 例えば孟子の一句を、むりやり白文で上から眺め、各文字の文法上の性格を類推し、「当たらずといえども遠からず」の解答率が得られるようになると、モチベーションは一段と上がる(孟子は論語よりセンテンスが長いので、めちゃくちゃ忍耐が必要)。 でも、正確な読み下しが出来ないうちは、とても声に出して読めるものではない。声に出して読めないうちは「宇宙人語」と変わらない。 さらに、素読はできたとしても、その意味をきちんと理解できるようになるには、読めるようになることよりも難しい。それはもう分かってます、はい。 ※人の原稿を待っている間にこんな駄文を書き始めたけれど、こちらが書き終わっても先方はまだ書き終わらない。早くしてぇえええ〜〜。
by hornpipe
| 2010-06-11 21:04
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