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「論語」を読むのは初めて。
「論語」と言っても、作家・陳舜臣が書いた『論語抄』というエッセイ風の本。白文(句点文)と読み下し文が併記されているので、とりあえず手に取ってみた。 高校時代、漢文は(も)まったくのペケ。この本も、ひたすら忍耐しながら読んでいる。 それにしても、まぁ読めないこと(笑)。 気合いを入れれば読めそうに思っても、ことごとく外れる。「三省堂」の語源にもなっているという次の文などいかが? 「曾子曰。吾日三省吾身。為人謀。而不忠乎。与朋友交。而不信乎。伝不習乎。」 (句点は本書の通りだが、これでいいのだろうか?) 「曾子曰く、吾は日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。」 英語と似た構文だと思いながら、ジーっと睨んでアタリをつけても、裏切られっぱなし。 「ブー!残念でした、それは名詞です」 「カーン!それは人の名前です」 「チーン!そこは一つにつながります」 「子疾病。子路使門人為臣。病間曰。久矣哉。由之行詐也(以下略)」 「子、疾い病す。子路、門人をして臣たらしむ。病い間なるとき曰く、久しいかな、由の詐を行うや (以下略)」 「子路」「由」が分からない人? 安心してください、人の名前(孔子の弟子)です。 それを知らないと、「子、門人を使って路??……臣と為す。路って何だ?」ということになる(例えばの話です)。 もう一つおまけに、子路と由は同じ人物で、同一人物に三つぐらい名前があったりするからややこしい。 論語の文章は簡潔、というよりは、極端に言葉を節約しているために暗号めいていて、「所詮ワタクシごときが最初から読もうと努力するのは間違いなのかも知れない」と思い始めている。 でも、ちょっと感動するのは、大昔の中国のこうしたオリジナルの文献を(孔子の時代よりは下るもの)、現代のこのワタクシでも気合いで読めそうに思えてしまうこと。これは凄いことではないだろうか? これが同時代の(昔の)日本語や英語だったら、とてもこうはいかない。
by hornpipe
| 2010-03-08 23:12
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