カテゴリ
最新の記事
以前の記事
フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
風景画家として水彩画を初めて広く一般に広めた大下藤次郎(1870~1917)は、山の絵を多く描いている。彼は、小島烏水らとほぼ同じ時期に日光や尾瀬、北アルプスなどに踏み入って絵を描いた。徹底して写生旅行を行い、当時の誰よりも足で描いた画家の一人である。
大下は美術雑誌『みづゑ』を創刊したことでも知られるが、そのなかでラスキンの著作を何度も紹介している。同じ雑誌でラスキンの山岳論を論じたのは小島烏水だった。 ↓大下藤次郎 「穂高山の残雪」(明治40年?) 水彩画は、日本で独特の発展の仕方をしたと言える。洋画の黎明期、画家たちは当然ながら油彩に力を入れたが、水彩画は材料が日本画の顔料に似てなじみやすいこと、さらに英国の水彩画家たちが来日して人気を博したことなどもあって、水彩画は油彩画と肩を並べるほどに受け入れられていた。 そして、初期の水彩画家たちは大下と同じく登山家たちと密接な交流があったのである。中でも丸山晩霞、三宅克己、吉田博は本格的に山に登り、高山の絵を描いた。 ↓吉田博 「槍ヶ岳」(油彩・1921?) 吉田博は、いわゆる新版画(浮世絵の流れを汲む木版画)の代表的な作家の一人としても知られ、日本アルプスやヨーロッパアルプスの素晴らしい作品を数多く残している。 ↓吉田博 「大天井岳より」(1926) ↓吉田博 「ユングフラウ」(1925) 同じ新版画で人気のあった川瀬巴水は、日本の伝統的な情緒を守りながらも、自然主義的な風景画を多く描いた。 ↓川瀬巴水 「伊香保の夏」(1919) 水彩画家ではないが、明治の末に英国に留学し、風景画を学んで自然美を追求しようとした武内鶴之助も登山家だった。 ↓武内鶴之助 「北アルプス燕岳」(モノクロ写真・1930?) 武内は英国留学中に、刻々と変化する雲の絵をパステルなどで描いているが、これは正にラスキン的な題材であった(ラスキンは『近代画家論』で雲を詳しく論じている)。 ↓武内鶴之助 「雲」(1911?) ラスキンの雲の論文は明治期に日本でもかなり有名だったらしく、何人かの文化人がそれに触発されて雲の観察を行っている。その中でも特にマニアックに研究を行ったのが、島崎藤村だった。島崎は信州の学校に赴任するとき、ラスキンの『近代画家論』5巻を携行し、信州滞在中は毎日雲を観察し日記につけていた。 冒頭に紹介した大下藤次郎の絵にも、地平線を低くとり、雲を強調した絵があるが、これなどもあるいはラスキンの影響があったのかも知れない。 ↓大下藤次郎 「秋の雲」(1904)
by hornpipe
| 2007-10-20 19:28
| その他
|
ファン申請 |
||