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以下は、相変わらずブラームスねただが、まとめてみる機会があったのでアップします。
モーツアルトのクラリネット5重奏曲は、モーツアルトが亡くなる2~3年ぐらい前の作品。モーツアルトは1791年、35才で亡くなった。本人は知らず、晩年の作品となった。 ブラームスのクラリネット5重奏曲は、ブラームス58才の時の作品。 ブラームスは63才で亡くなった。5重奏曲は亡くなる6年前の作品になる。やはり晩年の作品だ。 晩年どころか、ブラームスはこの5重奏曲を作曲する前の年に、自分の創作意欲は枯渇してしまい、もう作曲はできないと感じて遺書まで書いている。身辺整理をして余生を静かに過ごしたいと思ったようだ。57才のときである(私は来年です!)。ちなみに、遺書を書く直前の作品は、弦楽5重奏曲作品111になる。 遺書まで書いたのに、なぜ翌年になってこんな名曲が生まれてしまったのか? クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いがあったことは有名だ。 5重奏曲だけでなく、クラリネット3重奏曲もほぼ同時に完成させ、3年後には2曲のクラリネットソナタまで作り上げた。全部で4曲。どれも素晴らしい名曲である。 で、ここから先の話は、NHK交響楽団首席クラリネット磯部周平さんの研究による。ご本人の話と、雑誌パイパーズの記事をもとにまとめてみた。 磯部さんは、ブラームスが一度はあきらめていたのに、再びこのような名曲となる曲を作ろうと思った背景には、ミュールフェルトに出会ったことと、もう一つは、クララ・シューマンへの思いを、もう一度彼女にきちんと伝えたい、という思いがあったと推測している。 というのは、ちょうどこのころ、ブラームスとクララの関係はあまり良好ではなく、絶縁に近い状態にあった。ブラームスはそんな状態のまま人生を終えたくなかった。作曲だけでなく人間としても師と仰いだシューマンと夫人クララへの愛情は、ずっと変わらずに持っていたので、クララとの関係を戻して余生を過ごしたいと思ったのではないか、という。 そのためにブラームスは、これらクラリネット作品にクララへのメッセージを盛り込んだ。 クラリネットソナタのスコアをクララに送ったとき、ブラームスは手紙にこう書いている。 「この曲に私の作品1が出てくるのにお気づきですか? 蛇がしっぽを飲み込んで、輪は閉じられたのです」 ブラームスの作品1は、ピアノソナタである。20歳のときにこの作品を持ってシューマンを訪ね、シューマンに「天才が登場した」と言わせた曲。そのときクララも一緒に聞いていた。 「作品1が出て来る」というのは、ピアノソナタの第2楽章の次の部分だ。 4度上がって、順次下降する音形……これがクラリネットソナタ第1番の最初に本当に出て来る。 上記ピアノソナタの譜例の少し先には、ドファミ♭レ♭と音までそっくり同じフレーズが出て来る。 じつはこのモチーフは、シューマンが自分の曲に隠しこんだクララのモチーフとよく似ているといわれる。このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。 では、シューマン夫妻とは初対面だったはずのブラームスの作品1に、クララのモチーフがなぜすでに使われているのかという疑問が起きるが、実は現在の作品1のソナタは後で改訂されたもので、シューマン夫妻と知り合ってすぐに家族のように迎えられたブラームスが、シューマンにならってクララのモチーフを後で入れたとも考えられているようだ。それほど3人の絆は深いものだった。 で、このモチーフはクラリネットソナタ1番だけじゃなく、ほかの3つのクラリネット曲すべてに出て来る。最初に出来たのがクラリネットトリオで、その出だしは次のようになっている。 最初の3度のあと、ミ-ラ-ソ-ファ-ミがこのモチーフである。同じトリオの第3楽章は、もろそのままの形で出て来る。 次に作曲されたのが5重奏だが、5重奏にも第2楽章のクライマックスにこのモチーフが出て来る。 さらに第4楽章の冒頭にも、弦とクラのメロディを繋げるとこのモチーフが姿を現す。上はクラリネットパートで実音は短3度下げて読む。 面白いのはクラリネットソナタ第2番の冒頭だ。次のようなメロディだが、1小節目はクラリネットソナタ第1番冒頭1-2小節目のモチーフの前半と後半を入れ替えた形になっている。 ほかにも探すと、4曲の様々な箇所にこのモチーフが顔を出す。 さて、ここまで来てなお疑問に思うのは、このモチーフはブラームスにとって何だったのか、である。クララへの秘密のメッセージであることは分かった。でも、それで本当に何を伝えたかったのかということだ。 じつは、このモチーフはブラームスが作ったものではなく、バッハのある曲からとられたものだった。それは、不滅の名曲、マタイ受難曲に出て来る次のコラールである。 大変に有名なコラールで、歌詞の意味は、「私は心から幸せな最後を望んでいます」という意味だそうだ。 で、結論だが、ブラームスはこのモチーフを辞世のことばとしてクララに贈ったのではないか、ということ。クララもこれがマタイのコラールからとったものであることは知っていたはずだ。ブラームスは単にクララとの関係を取り戻したいと考えたのではなく、シューマンとクララへの感謝と愛情を人生の最後にどうしても伝えたかった。それで、もう一度筆をとった4つのクラリネット曲にこのモチーフを込めたのだろうと磯部さんは言う。 そのクララは1896年、ブラームスが63歳の時に亡くなった。同じ年ブラームスは肝臓癌をわずらいながら、彼の最後の曲、コラール前奏曲を作曲し、翌年の4月に息を引き取った。 その最後の作品、コラール前奏曲にも、やはりマタイのモチーフがそのままの形で使われている。しかもそこには辞世の言葉が楽譜の下にはっきりと記されている。
by hornpipe
| 2007-09-19 23:01
| ブラームスのクラリネット作品
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