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音は良いし表現も音楽的、だけどなんだろうこの違和感は……? 管楽器で演奏される「歌もの」を聴いていてよく味わう感覚だ。
先日は、あるミニコンサートで、とても上手なサクソフォン奏者がポップスや中島みゆきなど、癒し系の「歌もの」を演奏するのを聞いてこの感覚を味わった。ふつうに聴いていれば文句のつけようのない演奏だったのに。 そして気づいたのは、この「文句のつけようのない」部分こそが問題なのかも知れない、ということ。 美音で、丁寧に、音楽的に……という表現の方向が、こうした曲には合っていないのだろう、きっと。オペラ歌手が中島みゆきを歌うと退屈に聞こえるのと一緒である。 ポップスや演歌歌手は、たとえ美声をめざしたとしても、ことばの一つ一つがダイレクトに聴く人の耳に伝わるように精進するだろうと思う。 では問題は、「管楽器ではことばを喋れない」ということにあるのかというと、そうではないと思う。 だって、ジャズプレイヤーがこうした歌ものを演奏するのを聴けば、サックスでもクラリネットでも違和感を感じることはあまりないのだから。 ジャズサックスなどではとくに、プレイヤーそれぞれに異なるハスキーでザラついた皮膚感覚のような音に我々は共振する。ジャズやポップス、ロック、演歌、民謡などはそうした音に合う音楽なのであって、雑音のない豊かな響きで奏でられるような音楽とは、きっと対極にあるのではないだろうか。 ついでにもう一つ。 クラシック奏者が「ジャズもの」を吹く場合でも似たような違和感を感じることが多いけれど、これはその人がどれだけジャズの感度を持っているかによって千差万別だ。もし、自分がやるとどうしても真似事に聞こえそうだと思う場合は、ピアニストにジャズの専門家を起用すると良いと思うのだが。 あるいは、せっかくジャジーに吹けていても、ピアノの共演者にそのセンスがないと(往々にしてない!)、どうやってもサマにならない。
by hornpipe
| 2014-03-29 12:38
| 音楽一般
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