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2月7日のオーケストラ・コンサート(第一生命ホール、午後2時)でモーツアルトの交響曲第31番「パリ」を取り上げる。曲目解説を頼まれたので、にわか勉強をしてみた。
この曲についてはモーツアルト自身の言葉が父親に宛てた手紙の中に残されている。その中にとても気になる一節がある。 「曲が始まりました! 最初のアレグロ(第1楽章)の途中に、お客さんが必ず喜ぶと知っている仕掛けをしたのですが、案の定、聴衆はそのとりこになり、大きな拍手が起こりました。僕は、どこで何をどう書けば聴衆に喜ばれるかを知っているので、それをもう一度使ってあげたら、やっぱりまた喜ばれました」 聴衆がアマデウスの術中にはまってしまったその箇所って、一体どこなのだろう? この手紙を読んで気にならない方がおかしいのに、それについて触れた解説書は少なく、自分で考えてみた。 で、怪しいとにらんだ箇所は、第1楽章、246小節目からのコミカルなクレッシェンドとそれに続くフォルテの部分。「もう一度使った」と手紙にあるように、くどいようにこのクレッシェンドが2度出て来る。 さらにネットで調べてみたら、ジュリアード音楽院のグレグ・サンドフ(Greg Sandow)という人が全く同じ疑問に触れているサイトに出会った。しかも、アーノンクールとスタンリー・サディ(モーツアルト学者)の二人の説を音で紹介し、自分の説もそこに加えている。音を聴いてみたい方は、以下のサイトをクリックし、そのページの一番下に3人の音が聴けるボタンがあるので、それをクリックすると聴けます。 When Mozart Went to Paris 私の説はサンドフ説と同じだが、その5小節前からのクレッシェンドも含めている。 サンドフがなぜこのクレッシェンドを含めなかったのか不思議だ。この部分は、いわゆるロッシーニ・クレッシェンド(より時代はずっと前だけど)と同じ効果で、パリ交響曲を貫く(第2楽章をのぞく)オペラ・ブッファ的な演出の最たるところではないかと思う(←おー、ジュリアードの先生と張り合ってる!)。 上記、アーノンクール説は私には問題外(←おー、アーノンクールを切って捨てたぞ)。 サディ説は面白い。 というのも、このメロディの流れは「説明的」というか、字余り的に言葉を喋りすぎている感じがして、なにか不自然な感じを与えるように思うから。(下の譜例はサディ説の部分。ただし2回目のもので、1回目と音の動きが若干異なる) 手紙には、第3楽章の冒頭、ヴァイオリンだけがピアノで始まるところで聴衆席から「シーッ!」という声があり、そのすぐ後にフォルテになると拍手が起きた、とも書かれている。ことほど左様に、当時の聴衆は音楽の語意というものを知っていて、作曲家の仕掛けに敏感に反応した。 モーツアルトには「音楽の冗談」という曲があるけれど、あれを冗談として感じられない現代の我々が、はたしてどれだけパリ交響曲を理解できるのか甚だ心もとない。 だって、モーツアルトが聴衆受けを狙って一番分かりやすく書いた部分を、アーノンクールはじめ天下の専門家たちでさえ特定できないようでは、モーツアルトにしてみれば「何を書いても分かってもらえない」ということと同じではないだろうか?
by hornpipe
| 2010-01-17 19:30
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